僕=歯車を再確認
夜8時半、スマホの呼び出し音が鳴る。
子供の寝かしつけの最中、明かりも消した部屋では、いつも以上にけたたましく聞こえる。
ディスプレイには仕事関係の名前が表示されている。
「こんな時間に・・・このタイミングで・・・」
絵本を読んでり、子供と話をする。特に、子供が小さい時期のこの時間はとても貴重だと思う。
仕事柄、朝は早く、帰りは遅いので、平日に子供とコミュニケーションをとれる時間は少ない。
なので、平日はたいがい諦めている。
今日は休みだったので、寝かしつけの機会を得られた。
そんなタイミングでかかってくる電話に、怒りがこみあげてくる。
が、電話に出ないわけにはいかない。
一通りの対応をして、寝床に戻ると、子供は既に寝ている。
辟易とさせられる。
仕方ないのはわかっている。会社の一員として、歯車のひとつとして、大きな社会を回すためのパーツの役割を果たさなければならない。
歯車には何時、いかなるときも止まる権利はない。社会を回さなければ、価値はないのだから。
どこ歯車になるか

僕の会社は、24時間誰かが働いている。
当然、僕としては時間外、相手は仕事中になるパターンが出てくる。
逆も然り。
しょっちゅうではないけれど、こちらの休日や時間外に仕事の連絡・調整が入ってくることもある。
連絡や調整が必要なのは頭ではわかっている。
しかし、タイミングによっては、やっぱり腹が立つ。
今日は、休みが取れたので、久しぶりに子供の習い事を見学に行った。
そんな時に限って、電話がかかってくる。話が長い。もう少し、まとめて話してほしい。
休日は休日、時間外は時間外と割り切れるようなポジションの歯車になっていたら良かったのか。
ポジションを変えよう

昼間しか回らない歯車になろう。
あるいは、回るタイミングを自分で決められる歯車になろう。
・・・と、考えるのは簡単だけど、実行に移すのは難しい。
なぜか?
収入が減る
地位がなくなる
世間体が悪い
こういったものが足かせになる。
家族がいる身には、囚人の足かせの比ではないくらい強力な足かせである。
どうしたものだろうか。
そんなことを考えているとき、ふと読んだ文章にとても惹かれた。
あきらめること

作家の山崎ナオコーラさんがマイルールとして「あきらめる」を挙げている。
それについて、以下のように発言している。
「努力で何とかなる」って考えていると「俺の努力が足りないんじゃないか」と考えてしまう
ー作家・平野啓一郎さん
著者:若林正恭さん「ご本、出しときますね」より引用
僕も、「仕事ができないから、さばけないから帰れない」とか考えてたな。
どうせ自分はこの程度の人間だから、やりたいことをやっていいんだ。
-作家・山崎ナオコーラさん
著者:若林正恭さん「ご本、出しときますね」より 引用
はっとした。「あきらめる」と「やりたいこと」がつながるのか。
しかも「この程度の人間」だからこそ、「やりたいこと」ができるのか。
と、同時に「なんで?」となって考えてしまった。
で、僕はこう解釈するに至った。
僕にできること:全部はむりでも一部なら

全部あきらめなくてもいい。
一部あきらめるだけでも、やりたいことができるようになるのではないか。
収入の一部をあきらめる。
地位の一部をあきらめる。
世間体の一部をあきらめる。
それだけで、自分の裁量が増えるのではないか。
そもそも、収入も地位も世間体も、必要なだけあればいいのだ。
欲張るから、かえって自分の首を絞めるのだ。
そう考えると、妙に目の前が明るくなったような気がする。
イライラも減って、「いいひとであること」をあきらめるのは先延ばしにできそうである。
今後、いくらお金が必要だとか、6hだけ仕事するには時給〇〇円の仕事が必須だとか、生生しい話は割愛させていただきます。
やりたいことを、やるかやらないか悩んでいる方の参考になれば幸いです。
では!
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